人は、生きて、老いて、死んでいく。ただそれだけの人生を、そのままでいいと、とらわれなく感謝してすべてをお任せすれば、人生はそれだけでは終わらない—
詩と対話で綴る仏教的生き方論『いまのあなたのままでいい』(石上智康・大平光代著)より、君津光明寺の石上智康住職による詩をご紹介いたします。

石上智康肖像

君津光明寺 石上智康住職

「いただいているこの命、気をつけて大切に生活し、自分の器量に応じたところで精いっぱいやれば、それでいいのだと思います。ジタバタしてもはじまらない。いや、ジタバタしている『そのままでいい』という覚りの真実に『お任せ』するしか、最後はありません」

執われない

執われは すべて 根なし草
それでも死ぬのが 怖い
いつまでも 生きていたい と執われる

あれがほしい これは失くしたくない
死ぬのはイヤ と欲ばるから
その欲望が打ちくだかれて 苦しみとなる
みな 私の責任

佛陀が おかくれになった時
まだ 欲望を断ち切っていない 比丘(修行僧)たちは
周章狼狽し 泣いた
すでに 欲望を断ち切っている 比丘たちは
思慮をたもち 意識をしっかりさせ
悲しみを堪えて こう言った
「もろもろの現象は無常である どうすることもできない」
アヌルッダ尊者は 比丘たちに仰しゃられた
「やめよ 友たちよ 嘆くな」(バーリ語本・涅槃経)

執われが なくなれば
悲しみ苦しみに 束縛されることも ない

すべてのことは 動き
すべてのものも 変化している
無常であること それ自身は
悲しいとも 嬉しいとも 言っていない
それなのに
悲しい嬉しい 明け暮れの 毎日
なにごとも 不変と思い誤り

花には
人間のような執われがないから いい
「ただ 咲いて
ただ 散っていくから いい」(相田みつを)

「こと・ものすべて無常なり と智慧もて見とおすときにこそ
実に 苦を 遠く離れたり これ清浄にいたる道なり」(法句経)
清浄にいたる道とは 覚りにいたる道 のこと
悲しみや苦しみの束縛から 解き放たれる道

生きるということは
無智を 生きるということ
おのれ自身

冬きたりなば 春とおからじ
野山に 桜さき
水田にも 一面の 早緑が
新緑が 薫風をはこぶ
梅雨となり 暑い夏
暑さ寒さも 彼岸まで
秋は もみじ葉
また 冬の訪ずれ

刻々と 時はうつり
その すがた 跡を残さず
哀歓に染まる 人の世も
また 同じ

無常に さからい
不変と 思い誤り
悲しみ もがいても
無常であること それ自身は
悲しいとも 嬉しいとも 言っていない

あるのは
変化そのもの
ただ それだけ

悲喜の束縛から 解放されようが されまいが
すべては もともと無常であること そのもの
いつでも どこにあっても
みな この ことわりの中
この ことわりの中に 生きている
「このまま」摂めとられている

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